2009年6月30日火曜日

欧州に広がる「死ぬ権利」制定

いつもありがとうございます。
ツイてる抗加齢(アンチエイジング)実践家てるです。
毎日毎日毎日、多くのステキなことがあり、感謝しています。


世界一長寿で高齢化が最速で進んでいる日本は、
死生観があいまいなので死に直面した時に慌てますから
終末期医療で集中的な治療がされて医療機関はしっかり稼ぎます。

1人平均112万円という高額医療費が死亡直前の1ヶ月間で
費やされているそうです。

私の母は延命治療を頑なに拒んでいましたのでそうしましたが、
生命力が強かったので1晩持たないと言われてから1週間後に
わずかに微笑みながら静かに亡くなりました。

私は125歳まで元気でコロっと亡くなることに決めていますが、
最悪の場合でも尊厳死を選び、献体することにしています。

いずれ日本も「死ぬ権利」を制定する時がくると思います。


私のライフワーク:人生3大不安の健康、経済、孤独を解消するお手伝い。
私が発明しているのは、「人類を救う宇宙人」であるという可能性です。


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≪ナチスのくびきを超えて≫

いきなり「死ぬ権利」(安楽死および尊厳死)といっても、戦後「生きる権利」に固執し、それを最優先するあまり、人間本来の生き方、「死」という極めて個人の権利に迫る死生観についてなおざりにしがちだった現代の日本人にとっては、当惑するだけで、ぴんとこないかもしれない。

ところがドイツの連邦議会では、つい最近(6月18日)、この問題を正面からとりあげ、「死ぬ権利」を認めて安楽死および尊厳死を容認する「患者対処法」を成立させた。ただし、この法律の成立にあっては6年もの月日をかけた。何度も修正を加え吟味し、採決し直したうえ、最後に賛成317、反対233、棄権5で可決する念の入れようで、そのことも忘れてはならない。

これには理由がある。

かつてドイツは第二次世界大戦までのナチス時代、優生思想のもと、国ぐるみで大がかりな「安楽死計画」を企て、多くの障害者や難病患者を犠牲にした忌まわしい「負の歴史」、つまり前科があるからだ。そのため、戦後60年余が経たというものの、この問題に関してはタブー視する傾向が強く、刑法216条により厳しく取り締まってきた。

それなのになぜ今回、この法律を成立させたのか。

≪高齢化で避けられぬ課題≫

このニュースを知った知人の一人が、「これでスイスで死ぬ手間が省ける」と喜んだように、ドイツ国民の多くがこの法律の成立を待ち望んでいたからである。かくいう私も、還暦を迎えたころから「安楽死と尊厳死ならスイスでしよう」と決めていた。

なぜスイスかといえば、この国は数十年前から、この権利を合法化している。欧州では他にも、オランダが2001年、続いてベルギーが02年、ルクセンブルクが08年に合法化している。しかし、これらの国には自国民への適用に限るとの規則があり、外国人であるドイツ人は受け付けてもらえなかった。

その点、スイスは違う。

スイスは他国に先駆けて、世界に「死ぬ権利」を呼びかけた。1998年、この制度を支える機関として、「デグニタス」という慈善団体を設立し、自国民のみならず、外国人に対してもその権利を行使する機会を与えている。

会員制で、ユーロ(1ユーロ約135円)に換算して入会金125、年会費50を納め、死ぬに当たっては、外国人の場合、約7000支払うことになるそうだ。2008年現在の会員数は52カ国約6000人だが、ドイツが最も多く約3000人と半数を占めている。そのため05年、同団体はドイツ支部を開設しているくらいだ。

そのオモテ向きの目的は会員の募集にある。しかしその一方で同団体は、その活動が人権問題に抵触していないかどうかを含め、たとえば、不正確な請求やずさんな遺体処理をチェックするなどクレーム処理の窓口となっている。

さらに重要な活動の目的は、ドイツにおいて、「死ぬ権利」法の成立の実現を図るために連邦議会に働きかけることにあった。しかも、その延長線において、ゆくゆくは欧州連合(EU)の全体にまで「死ぬ権利」を拡大する狙いがあるというのだ。

事実、オランダ、ベルギーなどに次ぐドイツでの今回の“安楽死および尊厳死容認法”成立の欧州におけるインパクトは大きい。これをきっかけにEU各国では、ともにこの問題を真剣に検討する動きが始まっている。高福祉を維持する欧州諸国では、国民の平均年齢が急上昇している今日、この問題は避けて通れないのだ。

≪対岸の火事ではない日本≫

EU主要国の一つであるドイツの今回の「安楽死および尊厳死」容認はその起爆剤になる。だからこそドイツはあえてこの時期、この問題を取り上げて、法律の成立に奮戦したのだという。

もっとも、安楽死や尊厳死の合法化にはリスクもつきまとう。悪用の危険性や犯罪の温床になりやすく、そのことを危惧(きぐ)する慎重論も根強くある。

だが、重病患者の過度の延命措置は、本人の苦痛はもとより、家族にも精神的、経済的に大きな負担を強いる。そして、膨大な医療費の国庫負担は国家財政を揺るがしかねないのだ。

その点では、日本も同じ問題を抱えていることになる。日本は世界一の長寿国である。世界保健機関(WHO)の発表によると、2007年の日本女性の平均寿命は86歳で、男女合わせた平均寿命も83歳という。それだけに、日本にとっても、「死ぬ権利」としての安楽死と尊厳死の問題は、対岸の火事として見過ごすわけにはいかないだろう。

すでに少子・高齢化の問題は足元に火がついている。国家の緊急課題として取り組まなければ、あとの祭りになりかねない。そのためにも、重要な取り組みの一つとして「死ぬ権利」法の検討が迫られている。ドイツの今回の動きはその緊急サインではないか。どうもそんな気がしてならない。

ノンフィクション作家(フランクフルト在住)クライン孝子氏

(出典:産経新聞)



終末期医療を考える 「どう生きる」医師と話そう

どうやって、自分らしい最期を迎えるか。納得できる理想的な最期とは――。「終末期医療を考える」をテーマとした「医療ルネサンス仙台フォーラム」が5月21日、仙台市青葉区の電力ホールで開かれた。終末期医療や在宅ケアに詳しい3人の専門家が、自らの取り組みや意見を紹介しながら白熱した議論を交わし、集まった600人余りの市民は、真剣な面持ちで聞き入った。


[基調講演]自然の摂理に従う尊厳死 
名古屋学芸大学長、井形昭弘さん


いがた・あきひろ 東大医学部卒。鹿児島大学長、脳死臨調委員などを歴任。現在、日本尊厳死協会理事長も務める。神経病学などが専門。80歳。

「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」。西行法師の詠んだ和歌です。日本は長寿世界一を達成しましたが、死ぬ時に苦しまず、安らかで美しい最期を迎えたいと思うのは、今も昔も多くの人に共通するのではないでしょうか。

従来の医学は延命至上主義で、死は医学の敗北を意味しました。しかし、医療技術が進歩して長寿が実現すると、延命措置がかえって患者に苦痛を強制し、尊厳ある生を冒す場面が多く見られるようになりました。このため、自然の摂理に従って死を迎えたいという尊厳死運動が、世界中で広がりました。

日本尊厳死協会が提案する「リビングウイル」(書面による生前の意思表示)は、不治の状態で死期が迫ったり、植物状態が続いたりした場合に延命措置を拒否するものです。協会が保管し、必要な時が来れば、主治医に示します。

毎年の遺族への調査では、95%前後は「主治医はリビングウイルに協力的だった」と回答しています。

現代の医療では「インフォームド・コンセント」(納得診療)という考え方が定着しました。患者と医師が正しい情報を十分に共有した上で、最終的な選択は患者自身が行う「自己決定権」が尊重されています。

動物実験では、心臓が止まりそうになると、脳の中でエンドルフィンなどの快感物質が増えるというデータがあります。臨死体験では、きれいな花畑を見て幸せだと思ったら、呼び戻されたという話が多数あります。

死ぬ時に幸せになる仕組みが生物に備わっているとすれば、いたずらに延命措置を続けることは、神様が与えてくれた仕組みを無視して、命だけを長引かせていることになります。

尊厳死は、医師が注射や毒物投与などで死期を早める安楽死とは根本的に異なります。尊厳死協会は、安楽死には反対です。自己決定権は「死に至る過程を選ぶ権利」であり、自殺を容認している訳ではありません。

秦の始皇帝は不老長寿の薬を求めたと言われますが、50歳で没しています。今の日本では、彼らの考えた不老長寿の6~7割は実現していると言えるでしょう。運動で体力作りに励み、食べ物に留意して、良い生活習慣を身につけ、健康寿命を延ばす。その上で医療と福祉の恩恵を最大限利用して、最期は安らかな死を迎える。みなさんの努力や考え方次第で決まります。


人工呼吸器、尊厳失われない
仙台往診クリニック院長 川島孝一郎さん


かわしま・こういちろう 北里大医学部卒。在宅医療の草分け的存在で、東北大医学部臨床教授や国の終末期医療に関する懇談会委員も務める。55歳。 

人工呼吸器をつけている人に対して「尊厳がない」というイメージを持つ方がいますが、これは間違いです。人の尊厳は、増えたり減ったりするものではありません。QOL(生活の質)が低下することで、尊厳を失ったと錯覚しているだけです。

私の患者には、全身麻痺(まひ)で一人暮らしを続ける60代の女性がいます。女性は医療・福祉制度を駆使することで、QOLを保ちながら、きちんと生活しています。

医師は本来、患者に対し、病気の説明だけでなく、豊かな人生を送るためのアドバイスをしなければなりません。しかし、制度をよく勉強している医師は、少ないのが実情です。痛みなどの緩和治療もしかりです。

終末期も、一律に定義することはできません。呼吸器をつけたからと言って終末期とは限りません。だが、よく分かっていない医師は、すぐに呼吸器を外そうとします。尊厳死という言葉を簡単に受け入れるべきではありません。

これからの医療は、治らない患者を支えていく仕組みが求められます。患者も、最期までより良く生きるための説明を医師に求めていく姿勢が必要です。


中略


パネルディスカッション 省略

主催 読売新聞社

後援 宮城県、仙台市、宮城県医師会、仙台市医師会、ミヤギテレビ

(出典:読売新聞)

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