いつもありがとうございます。
ツイてる抗加齢(アンチエイジング)実践家てるです。
毎日毎日、多くのステキなことがあり、感謝しています。
目を覆うような子供への虐待事件は後を絶ちませんが、
どんな事情があっても命を奪うことは許されません。
ご紹介の記事は今日の産経新聞一面の記事でしたが、
世の中は無関心な人が増えいてるのですね。
私は署名する機会はなかったので署名していませんでしたが、
検索して署名サイトから署名しましたが、総署名数は69000ほどでした。
虐待致死傷罪制定及び虐待防止社会に向けての請願署名
ツイッターにもツイートしました。
ご賛同していただける人はご署名にご協力ください。
私のライフワーク:質の高い健康とより幸福・豊かな人生を実現するお手伝い。
私が発明しているのは、「人類を救う宇宙人」であるという可能性です。
****************************【以下転載】****************************
児童(乳幼児)虐待の記事は胸が傷(いた)む。それもほとんどとぎれることなく、全国において起こっていることを新聞は伝えている。
この虐待防止に立ちあがった人が成田浩子氏(川崎市)であり、ひまわり署名プロジェクトという組織を立ちあげ、署名活動を始めた。その目的の一つは児童虐待致死傷罪の制定である。私はそれに賛同し署名し、ささやかなカンパも行った。
その後、連絡があったので、7月11日、日曜日の午後、大阪の京橋で街頭署名活動に参加した。メンバーはたがいに初顔合わせで、7、8人であった。老人は私1人、他は20、30代の若い人。
この署名活動における実感は〈人は見かけによらぬもの〉に尽きる。だいたいにおいて、インテリ風は署名しない。もちろん、怖(こわ)そうな連中も署名しない。もっとも、そういうオッチャンはこちらが避けたせいもあるが。オバチャン軍団はだめ。しゃべることに夢中で、われらを完全に無視。楽しい日曜日だもんなあ。
老人は、一般にこれまただめ。われわれを胡散臭(うさんくさ)そうに見て通るだけ。そして無表情。
若い人も、もちろん素通り。中には露骨に軽蔑(けいべつ)した目つき。
という調子であったから、一工夫してみた。同じ場所でストリートプレーヤーがいたので、そのリーダーに呼びかけた。そちらが一曲歌ったあと、私が署名活動のことを訴える。そのあとまた一曲…という共催はどうや、と。
みごとに断られた。しかし、そのリーダーは「署名はします」と言って協力してくれた。
それを見ていたのであろうか、別のグループのリーダーが寄ってきて署名してくれたのみならず、歌う前に聴衆にわれわれの署名活動を紹介してくれた。その女性、20歳前後。派手な服装、厚化粧でつめもギンギンに塗っておりどう見てもヤンキー。けれども心は優しいではないか。
もちろん、署名をするしないは個人の自由である。署名しないからと言ってその人を非難するわけではない。署名は強制ではなくて、あくまでも自己責任による決断である。
しかし、それを突き動かすのはその人自身が持っている人間性である。心である。「未成年ですが署名していいですか」と言って寄ってくれた高校生がいた。虐待防止に、と涙声で署名してくださった若い男女2人。彼らの去りぎわに私は思わず声が出た。「お幸せに」と。
総じて年齢の若い人、と言っても30歳前後か、人生における苦労が始まりかけたころの人たちに反応が多かったように思う。
私も老人であるが、老人に無反応の者が多かったのは驚きであった。自己決断も人間性も希薄であり、こう感じた。「もう終わってるな」と。
いや、驚きといえば、意外なすごいものを感じた。バギー(乳母(うば)車)に乳幼児を乗せた母親たちはほとんど署名しない。さっと通りすぎる。
自分が、わが子が幸せなら、その幸せのほんの一部でも、不幸な子たちに分けてくださってもいいのではなかろうか。真の幸せは、心の幸せではないであろうか。
『論語』述而(じゅつじ)篇に曰(いわ)く、「仁者(じんじゃ)(愛情深い人)は、己(おのれ)立たんと欲すれば、人(他者)を立つ」と。
(出典:産経新聞)
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